郷土をよく知ることによって郷士を愛し、郷土愛の発揚によって郷士は発展するものである。我々が我町をよく知るには町の環境、沿革、町勢、文化財等をよく究める必要がある。それには町誌の編纂が早道である。町誌の編纂についてはさきの町長飯島寛・古屋富明両氏が夙に痛感し編纂を志したが、時あたかも日華事変、大平洋戦争、終戦処理等非常時局に遭遇して着手することが出來なかった。その後をうけて私は前町長二氏の志を継ぎ、山梨縣史蹟名勝天然記念物調査員竹川義徳氏その他郷土研究家が町内にある事に力を得て、これが達成を企図し、町議曾の協賛を得て昨年三月各方面の協力により編纂事業はその緒につくことが出來た。然るにいくばくもなくして任期が満了し退職の余義なきに至つた。幸にも後任に飯島町長が就任し、編纂事業を綴承して頂くことになったので、後事を託して心おきなく職を退き完成の一日も早からんことを願つていた。由來一カ年間の努力により茲に目出度出版の蓮びに至つた事は洵に御同慶にたえない次第である。
 本年はあたかも町制施行二十周年に相當し、本町は成年に達し、これより飛躍的発展を遂げんとする折柄、本誌の出版は絢に意義深い記念事業である。叉地方誌発行は今や全国的の趨勢となり、本縣においても各地において町村誌編纂の気気運が濃厚となりつゝある。これに魁けて本誌の発行は時宜に適した事業と云える。本誌の発行によつて町民に裨益し、廣く社會に寄與することが出來るなら幸である。

   昭和二十七年三月 日
     前日下部町誌編纂委員長    
   齋 藤 辰 丸  

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